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当ブログ管理人「上原 一真」の詳細プロフィールと活動にかける思い

 

当ブログ管理人「上原 一真」の詳細プロフィール。

「どんな奴がこのブログを書いてるんだ?」と思った方、またYouTube, 各SNS等から僕のことを知りこのページにやってきた方、公式LINEから飛んできた方はぜひ最後までお読みいただけると嬉しいです。

上原 一真
(Uehara Kazuma)

1992年生まれ (29歳)

鹿児島県奄美大島出身

●フルマラソンベストは2時間34分16秒(2021年)。

ランニング歴16年以上(2005年〜)

1500m~100km超のウルトラマラソン, トレイルランニング, 駅伝など幅広く

●保有資格:NESTA-PFT (全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会-パーソナルフィットネストレーナー)(2018年1月取得)

オンラインランニングクラブ『BRC主宰。

●2015年、福岡から北海道まで約3,700km走って(&歩いて)日本縦断達成。

 

 

長すぎる自分語り (全部読めた人は凄い!)

1992年生まれ。
鹿児島県の奄美大島という辺境の地で生まれ育ちました。

“陸の孤島”ではなく、シンプルに“孤島”。

マックもなければ、スタバもない。
週刊少年ジャンプの発売日は早くて火曜日、台風とかだと木曜日。

コンビニなんて僕が子供の頃の奄美にはなかったので、テレビで流れるコンビニのCMは全てファンタジーの世界。
注) 今はファミリーマートだけある。

最近、世界自然遺産に認定されたみたいですが、まあそんな感じの自然豊かなところで育ってきました。

 

スポーツなんて大嫌いだ

僕は運動神経が良くありません。子供の頃から「スポーツなんて大嫌いだ」と心の底から思っていました。
「できれば身体なんて動かしたくない」というスタンスで生きてきました。

しかし、離島って酷なもので、お酒飲むか、パチンコするか、スポーツするか、くらいしかやることの選択肢がないんですよね。

映画館もなければ、ボウリング場もなければ、カフェもない。
要するに、エンタメがないんです。

もちろん子供はお酒も飲めないしパチンコもできません。
というわけで、島の子供達は、みんな何かしらのスポーツをやります。そういうカルチャーなんです。

だから、僕みたいな「スポーツができない人」にとってはいろいろと生き辛さみたいなものがありました。「なんで、スポーツしなきゃいけないの…」といつもに煮え切らない気持ちでしたね。

 

小学校時代 : ランニングとの出会い

そんな中でも、なぜか「個人競技」というものだけは、僕はハマることができました。
陸上とか、水泳とか、体操とか。

多分、友達が少なかったので、誰に気遣うこともなくただひたすら取り組めるというところが僕の性に合っていたのだと思います。

周りは「何かしらのスポーツをしないといけない」という風潮でしたから、僕はなんとなーく「走る」ということだけはちょこちょこと続けました。

ただ、一つのことにのめり込む気質だけはあったようで、コツコツと走っていたら校内の持久走大会では2~3番くらいで走れるようになっていました。

 

運動神経がない自分にはどうせ無理でしょ・・・

中学に上がる際、何の部活に入るか決めないといけなかったのですが、とりあえず「走る」くらいしかできることがなかったので陸上部に入部します。

競技種目は「中・長距離」
中学生なので、800m走、1500m走、3000m走とかですね。

ただ、陸上部に入部したものの、この頃の僕は別に高い意識を持っていたわけではなく、「運動神経がない自分は、どうせ上なんて目指せないでしょ・・・」とか思っていました。やたらと意識が低いです。

 

中学時代 : 可能性を見出してくれた存在と初めての成功体験

中学校の陸上部では、顧問の先生が陸上の基礎・基本についていろいろと教えてくれました。

当時の僕にとっては、全てのことが初めて見聞きするものばかり。
インターバルやレペティション, ペース走といった様々なトレーニングに取り組むようになり、僕はど素人なりにメキメキと走れるようになってきました。

ここで、全国の中学生アスリートが目標とする「中体連」という大会があるのですが、これは地区大会, 県大会, 全国大会と予選を突破することで上の大会に進めるという仕組みになっています。

僕もこの「中体連」の地区大会に何も分からず出場しました。
別に上位を目指そうとかそういうのではなく、「ただ今までやってきた練習の成果を出そう」とそれだけを考えていました。

すると、自分でもびっくり。1500m走で総合3位に入賞し、鹿児島県大会出場の権利を得たのです。

この時、「自分のやってきた努力がそのまま報われる。それが陸上か!」というランニングの魅力に気付き、それまでより一層ランニングにのめり込むことになります。

これが僕にとって、初めての“ランニングの成功体験”です。

それからは、ただひたすら走っていました。
正直、トレーニング理論とかはあまり考えず、とにかく走りまくりました。
すると、中学2~3年時は県大会の中位レベルでは走れるように。

当時の陸上部顧問の先生は本当にいろいろなことを教えてくれて、とても感謝しています(めちゃくちゃ生意気な教え子でしたが…)。
また、地元の駅伝監督も声をかけてくれて、地域の人も僕を育ててくれました。16年以上経った今でも一緒に練習をしています。

こうして、僕はランニングで小さな成功体験を積んでいきながら、「もしかしたら、こんな自分でも良いところまでいけるんじゃないか」と少しずつ自分に自信を持てるようになりました。

 

高校時代 : 制約がある中で走ることの難しさを知る

とはいえ、中学時代の僕は“県大会止まり”の選手でしたから、決してエリートではありません。
高校も地元の普通校に進学し、フツーに勉学に励みつつ、フツーに陸上競技に取り組み続けました。

ただ、通っていた高校がお世辞にも陸上強豪校とは言えなかったので、陸上部の練習環境は酷いものでした。
練習場所も練習時間も様々な制約があり、しまいには出たい大会にも出られないといった状況。

正直、当時の僕は完全に不貞腐れていましたが、環境のせいにしていても何も変わらないので、その中でできることをやっていました。

高校の陸上部顧問の先生も非常に良く生徒達と付き合ってくれましたが、長距離専門の先生はいなかったので、僕はすべての練習メニューを自分で作っていました

また、陸上部・駅伝部のキャプテンとして、チームのみんなの分の練習メニューも設定ペースもすべて考えていました

駅伝はチーム戦ですから、一人走れるだけでは戦えません。
どうやったら、みんなで強くなれるか、毎日毎日そのことばかり考え、授業中もひたすらみんなの練習メニューと設定ペース、レースでの目標タイムを考える日々。

その結果、僕らの高校は、駅伝では長らく鹿児島県大会に出場すらしていませんでしたが、僕が3年生の時は県で10位に入ることができました。
チームで成果を掴み取ることの楽しさを実感した瞬間でした。

*ちなみに、この年の全国高校駅伝では、鹿児島実業高校が優勝。今でも鹿児島の“最強世代”と言われるランナー達が揃っていました。

思い返すと、この高校時代、制約がある中で走り続けてきた経験が市民ランナーとして走っている今の自分にも活きていると思います。

また、自分だけでなく他の部員の練習メニューもすべて作ってきたことが、現在のランニングコーチ業に活きているのかもしれません。

 

チームを率いることの難しさを知る

ただ、ここで得たのは成功体験だけではありません。
大きな失敗もたくさんしました。

その一つが、チームの率い方。

陸上部で一緒に頑張る仲間達は、全員が全員、やる気に満ち溢れているわけではありません。
中には、「別に記録を目指さなくてもいい」と思って走っている人もいるわけです。
別に陸上強豪校というわけでもないのだから、そういう人たちがいて当然です。

でも、当時の僕の考え方は、「陸上部に入る=記録を目指す」であり、「走るからには上を目指すのが当たり前でしょ!」というものでした。

だから、僕は彼らに何度も何度もしつこく注意をしました。
それでも彼らは変わりません。

「なぜ変わらないんだ?」と、僕は苛立っていました。

正確には彼らは彼らなりに頑張っていたと思います。
でも、「頑張る」の基準値が僕とは違っていたんです。

彼らは「ほどほどに走って、最低限の体力がつけば嬉しいな」くらいの感覚で走っていたのかもしれません。

ここに、僕と彼らの間で大きな価値観のズレがありました。
これは彼らが悪いわけではなく、その価値観の違いに気付かなかった僕が悪いのです。

世の中にはいろんな人がいて、ランナーが走る理由だって様々。

というか、普通の人は好き好んで走らないですよ。
むしろ、ひたすら走り続ける人間の方が世間一般的にはおかしいです。

僕は、そのことにまったく気付いていませんでした。
極端に視野が狭く、器も小さ過ぎました。

当時、彼らの気持ちも考えずに、自分の価値観ばかりを押し付けてしまっていたことをとても反省しています。
やっぱり、チームを率いるって難しい。

でも、この経験から学んだことがあります。

それは、ランニング指導をする上では相手の立場に立ってコミュニケーションを取らないといけないということ。

相手はどういうモチベーションで走っているのか走ったその先に何を求めているのか、そこを想像しないとダメなんですね。

「記録なんて気にせず走りたい」という人に向かって「毎日、血へど吐くほど走れ!」なんて言ってもまったく話が噛み合わないですよね。

 

大学時代 : アスリート達の世界の厳しさを知る

高校時代に大した競技成績を残せなかった僕は、大学でもしつこく走り続けることにしました。

しかし、相変わらずエリートランナーではない僕はスポーツ推薦などもらえるレベルではなかったので、一般受験でそれなりに陸上ができそうな大学へ。

受験勉強というものにまったく熱意を注げなかった僕は、超なんとなく進路先を決めていました。

すると、「それなりに陸上ができそうな大学」と思って入ったところが、僕のリサーチ不足で、実は中々の強豪陸上部だったのです。

それまで、田舎のゆるゆる陸上部でぬるま湯に使っていた僕は、いわゆる“陸上強豪校”と言われる大学のカルチャーに圧倒されてしまいました。

日本インカレ(大学生アスリートの全国大会)で優勝するようなアスリート達が身近にいる環境で僕は完全に萎縮してしまい、なかなかその環境に見合うだけの競技成績も出せませんでした。

もっと力をつけなきゃと練習量を増やしまくったら当然のごとく怪我をしてしまい、仲間達に遅れをとる。
遅れを取り戻そうと頑張れば頑張るほど、また怪我を繰り返す。

僕のような下位選手は毎回の練習が“アピールの場”であり、じっくり腰を据えてトレーニングすることができませんでした。
今考えると当時の僕がただ不器用なだけだったんですが、自分の練習のリズムを作れず、すべてが空回り。

大学になっても競技者として走り続けることの厳しさを思い知る毎日でした。

 

走ることが嫌いになった暗黒の歴史

それから、自分の思うような走りができない期間が長らく続きました。

「努力すればするほど結果が出る」ことがランニングの魅力だと思っていましたが、その魅力は次第に霞んでいきました。

そしてある日、僕の緊張の糸はプツンと切れてしまいました。

「もう、どうでもいいや」

と、何もかもが自暴自棄になり、僕は逃げるようにして陸上部を退部。

十分な説明もなしに陸上部を去ってしまったことは、今では申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、当時の僕は完全に視野狭窄の状態でした。

とにかく走ることが嫌になり、何もかも中途半端な自分も嫌になり、僕はランニングから距離を置くことになります。

 

走ることの原点を思い出した日

とはいえ、走るばかりの人生だった僕の視野は異常なほどに狭くなっていました。

自分の人生から“ランニング”がなくなってしまった今、僕は一体何をすればいいんだ?

と、目の前の世界が一変したことに戸惑い、狼狽えました。

 

そこから、大学生にありがちな「自分探し」が始まります。

当時の僕は世間のこと、社会のことをまるで知りませんでしたので、そこからはいろいろ手を出しました。

意識高い系の活動をしてみたり、自己啓発的なセミナーに参加してみたり、起業の真似事をしてみたり、海外放浪してみたり、ヒッピー的な世界を覗いてみたり。

いろんな新しい世界に飛び込む中で、「ランニングなんて世の中のごくごくごく一部の世界に過ぎないんだな」と、ちょっとだけ広い世界が見えるようになりました。

 

でも、それでもやっぱり
「ランニングのない世界」は、僕にとっては虚無でした

 

ある日、僕はとあるランニングクラブの方々が河川敷で走っている姿を見かけました。

そこにいたのは、屈託のない笑顔で走る市民ランナーの方々。
彼ら彼女らは“走ることそのもの”を心から楽しんでいるように見えました。

そこで、僕の心の中にも昔の感情がまた芽生えてきたのです。

僕自身が中学生になって走り始めた頃の感情。
「走ることそのものが楽しい」と思っていた時の感情がジワジワと沸き上がってきました。

「また、走りたい」

なんとも身勝手な人間だなと我ながら思うのですが、そういう気持ちになってしまいました。

 

ランニングの楽しみ方は自由だ!

もう記録とか順位とかそういうことじゃないんです。

とにかく身体が走りたいと叫んでいました。

それから、僕は初めてのマラソンに挑戦しました。

何度かマラソンを走ったら、もっと距離の長いウルトラマラソンやトレイルランニングにも挑戦しました。

そして、移動はすべてランニング。
夜勤のバイトの後も、夜通し勉強した後も、飲み会の帰りも走って帰宅。

とち狂ったように走っていました。

記録や順位だけを求めて走っていた過去の自分を振り払うかのように、あるいは競技人生を挫折した自分を慰めるかのようにひたすら走っていました。

そのまま血迷った僕は、2015年、走って日本を縦断。
福岡をスタートして北海道の宗谷岬、日本の最北端まで走り抜けました。

 

最短ルートではなく、自分の行きたい場所、走りたい場所を巡っていった結果、総走行距離は約3,700kmに達しました。
(厳密には、歩きも含まれていますので総走歩行距離と言った方がいいかもしれません)

走った期間は約5ヶ月間

旅中に出会ったイタリア人には「日本のフォレスト・ガンプじゃねーか!」と言われました。

この「走って日本縦断」に何の意味があったのかは今でも分かりません。

おそらく何の意味もないでしょう。無駄の極みです。

いや、もちろん素敵な経験にはなりましたよ。

でも、走って日本縦断したからといって別に、僕は立派な人間に成長したわけではありません。(僕は日本縦断をして成長しなかったと思う)

ただ、一つ。
僕の中のテーマとしてあり続けたのは、

「ランニングの楽しみ方は自由だ」

ということ。

 

記録や順位を求めて走るのもいいし、記録なんか気にせず気の赴くまま走るのもいいし、走った後のビールをモチベーションに走るのも良いし、仲間との交流手段として走るのもいいし。

どんな形であれ、走ることを楽しめばいいと、僕は思うんです。

だって、自分が好き勝手に走っているだけなんですから。

 

市民ランナーの指導を始める

日本縦断後は、僕も普通に市民ランナーとして、フルタイムで働きながら走るようになりました。

そして、2016年頃からは、市民ランナーに向けて指導というかアドバイスを始めます。

ランニングクラブを立ち上げて、僕が練習メニューを考えて、みんなで取り組んで・・・
という感じで高校時代のチームマネジメントの経験を活かしていろいろやっていました。

で、このランニングクラブでの話なんですが、3年の間にサブ3(フルマラソン3時間切り)を達成した方が8人現れたんです。

これ、結構凄くないですか?

サブ3って言ったら、一昔前だとほんのひと握りのランナーだけが到達できる領域というイメージだったんです。
実際、今でもマラソン完走者の3%しかサブ3を達成していないというデータもあります。

でも、僕が作ったメニューで練習したランナーは、ポンポンとサブ3やサブ3.5(3時間30分切り)、サブ4(4時間切り)を達成していく。

そんなマラソンの記録を爆伸びさせていく彼ら彼女らをみて僕は思いました。

 

あれ…?もしかしてサブ3って誰でもサクッと達成できるんじゃね?

別に記録や順位だけがランニングの目的ではありませんが、それらをモチベーションの源泉としている市民ランナーの方はたくさんいらっしゃいます。

そんな彼らの自己ベスト更新、サブ3やサブ4といった目標達成をアシストすることが僕にもできるかもしれない。

2018年の青島太平洋マラソン(宮崎)で、僕はチームメイトのアシストに回って、サブ3のペーサーをしたことがあります。
そこで見事2人のランナーがサブ3達成。(レース動画)

翌年2019年の同レースでペーサーをした時は、また2人のランナーがサブ2時間50分を達成。(レース動画)

彼らが普段から練習を頑張っている姿を見てきただけに、僕はとても嬉しかったです。

そして彼らから「ありがとう」という言葉をいただいた時、それはもう自分が目標達成をした時よりも嬉しく感じました。

 

これまで、自分のことばかり考えて走ってきましたが、

「自分がずっと取り組んできたこの“ランニング”を通して、誰かの役に立てるかもしれない」

そう思うようになりました。

 

僕は決して、全国レベルの大会で輝かしい成績を残してきたわけではありません。
まったくの凡才ランナーです。

でも、だからこそ伝えられることがあると思うのです。

残念ながら、僕は生まれ持った才能は持ち合わせていませんでしたが、だからこそ凡才なりにめちゃくちゃ勉強してきました。
ランニング関連の勉強には何百万円というお金も注ぎ込んできました。

僕は、感覚だけで走れてしまうランナーとは違います。

科学的理論に則った練習をしてきました。
ちゃんと根拠のある練習をすることで、僕みたいな凡才ランナーでもマラソンを2時間30分程度では走れるようになりました。

何もこれは僕だけの話ではなく、僕が指導してきたランナーの方々もちゃんと科学的理論に則った練習で成果を出しています。

僕は極めて再現性の高い指導をしているつもりです。

 

また、僕はずっと市民ランナーとして走ってきたので、市民ランナーの忙しいライフスタイルも分かります。

僕が大事にしているのは、市民ランナーの悩みに寄り添うこと

僕は、正論を振りかざすだけの指導者とは違います。
知識マウントを取っているだけの情報発信者とも違います。

ランニングコーチングの主役はコーチではなく、ランナーである“あなた”です。

あなたに成果を出させることが、ランニングコーチとしての僕の役目なのです。

 

オンラインでランニング・マラソンの攻略情報を発信し始める

それから、僕はブログやYouTube, SNSでランニング、マラソンについての攻略情報を発信するようになりました。

オフラインで会う身近な人だけでなく、もっと多くの人に僕の持っている情報を届けたいと思ったからです。

そして、少しずつですが読者・視聴者さんも増えていき、今でも僕が作ったコンテンツを見てくださっている方が世界中にいらっしゃいます。

今のあなたみたいに。

本当にありがとうございます。

このブログがあなたのランニング人生を少しでも豊かにするお手伝いができているなら、僕はこの上なく嬉しいです。

 

オンラインランニングクラブ『BRC』の立ち上げ

これらの発信活動で、僕は素晴らしい経験や学び、素敵な繋がりを得ることができました。

さらに、そこから「情報を一方的に発信するだけではなく、学んだ知識をしっかり実践してもらい、確かな成果を出させたい」という思いから、僕はオンラインのランニングクラブ『BRC(ぼっちランナーズクラブ)』というコミュニティを立ち上げました。

このコミュニティでは、「ひとりで頑張るランナーの“実践”と“継続”を後押しする」というコンセプトの下、メンバーの一人一人がそれぞれの目標に向かって日々精進を続けています。

 

素晴らしい仲間とともに、更なる進化を

今、僕の周りには『BRC』のメンバーをはじめ、志の高い仲間達が多数集まってくれています。
これはもう本当に筆舌に尽くし難い喜びです。

ですが、まだ終わりではありません。

これからもっともっと多くの方にランニング・マラソンで成果を出していただき、最高に充実したランニング人生を送っていただきたい。

そのために、僕は今日も活動しています。

もし、今これを読んでいるあなたも僕達と一緒に頑張りたいと思っていただけたら、ぜひこっちの世界に飛び込んでみてください。

公式LINEでは、ブログやYouTube, SNSでは話せない特別講義をお伝えしています。

登録がまだの方は、ぜひ中を覗いてみてくださいね。

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おまけ : 6年前の僕へ

最後に。

2015年に走って日本縦断中、北海道を走っていた時に地元の新聞に取材されたことがありまして。

その時の記事がこちら。

↓↓↓↓↓

上原さんは鹿児島県奄美市出身で、中2で陸上をはじめた。けがに泣かされ大学2年で陸上部を退部。「タイムは気にせず、旅をしながら走りを楽しめないか」と、大学卒業を機に4月に日本縦断を始めた。これを足掛かりに世界中を走り、ランニング関係の仕事に就くのが夢だ。

(2015年8月7日 北海道新聞 より)

 

若き上原氏。

「ランニング関係の仕事に就くのが夢」

とか言ってますね。

 

6年前の僕よ。安心しなさい。

未来の君は、ランニングで充実した仕事をしているよ。

 

ベスト記録等

<マラソン>

●フルマラソン = 2時間34分16秒 (ぼっちフルマラソン2021) ※非公認
●フルマラソン = 2時間37分30秒 (青島太平洋マラソン2016) ※公認
●ハーフマラソン = 1時間15分12秒 (奥八女黒木ハーフマラソン2019)
●100kmマラソン = 9時間47分38秒 (壱岐ウルトラマラソン2018)

■東北みやぎ復興マラソン2017 年代別優勝(25~29歳) (2時間39分05秒)

<ロードレース>

●10km = 32分58秒 (2011年)

<トレイルランニング>

■OSJ奄美ジャングルトレイル2017 50K 4時間12分45秒 (総合3位)

<トラック>

●5000m = 15分42秒 (2011年)
●1500m = 4分15秒 (2010年)
●800m = 2分04秒 (2010年)

〈戦歴〉

日時 大会 記録 備考
2013. 2 熊本城マラソン2013
(熊本)
2時間46分36秒 初マラソン
2013. 5 バンクーバーマラソン2013
(カナダ)
3時間半くらい ファンラン
2014. 2 京都マラソン2014
(京都)
2時間45分56秒
2015. 2 OSJ奄美ジャングルトレイル2015
50K
(鹿児島)
4時間37分17秒 総合5位
2015. 2 高知龍馬マラソン2015
(高知)
2時間46分38秒
2016. 2 別府大分毎日マラソン2016
(大分)
2時間40分46秒
2016. 10 壱岐ウルトラマラソン2016 100km
(長崎)
11時間11分30秒
2016. 12 青島太平洋マラソン2016
(宮崎)
2時間37分30秒 年代別4位
総合13位
2017. 2 熊本城マラソン2017
(熊本)
2時間40分04秒
2017. 3 OSJ奄美ジャングルトレイル2017
50K
(鹿児島)
4時間12分45秒 総合3位
2017. 10 東北みやぎ復興マラソン2017
(宮城)
2時間39分05秒 年代別1位
総合11位
2018. 3 鹿児島マラソン2018
(鹿児島)
2時間41分46秒 年代別7位
総合24位
2018. 10 壱岐ウルトラマラソン2018 100km
(長崎)
9時間47分38秒
2018. 12 青島太平洋マラソン2018
(宮崎)
2時間57分15秒 ペーサー
2019. 2 熊本城マラソン2019
(熊本)
2時間37分44秒 総合22位
2019. 11 奥八女黒木ハーフマラソン2019
(福岡)
1時間15分12秒 総合5位
2019. 12 青島太平洋マラソン2019
(宮崎)
2時間51分56秒 ペーサー

 

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